スピリチュアリティの視座(菅原浩氏より)

スピリチュアル』とは、「スピリット」がもとの形容詞形だそうです。

スピリット」とは、大きく二つあり、まず、宇宙の根源そのもので、キリスト教では「神」であり、神のペルソナである「聖霊」はホーリー・スピリットだと言います。

「そういう無限遠の視点をおいてすべてのことを考え直すことを、スピリチュアルな視点だと言うことだ」と言っています。

「無限の彼方があることを意識し、かしこから注がれてくるものを感じ、受け止め、生の中に「永遠」を迎え入れること」なのだとします。

もう一つのスピリットの意味は、「この宇宙根源から発せられ、万物を生成させる生命エネルギーである」、とします。

「わたしがここに生を与えられているのも、その生命エネルギーによるものだ。つまりスピリットとは、ここでは、わたしという存在(わたしの魂)を含め、すべての存在物を、そこに『ある』という状態へもたらす原理である」のだそうです。

「そのような「生命」の原理を真っ向から問うことが、文明というものの中核にあったことなのだ」といいます。

したがって、「スピリチュアル哲学というのは、宇宙根源について思索し、そこにあらゆる存在の生成する根拠を求めようとする思考のようなものを意味している。そのような問いを考え、その問いの深奥に入り込もうとする探求が哲学である」という考え方がそこにあると主張しています。

「スピリチュアルを求める人々の欲求には、新しい地球を求める人々の魂レベルの欲求が含まれていると感じる」のだそうです。
その欲求に対して、知的世界が十分に応えていない。とし、
「必要なのは新しいヴィジョンだ。これまでは「宗教」という枠の中に封印されてきたものが、そのような枠を取り払って、自由な運動を始めている」としています。

「(インド的な転生の説と、キリスト教的な「魂の進化」のヴィジョンの融合など)新しいものの予感が存在しないとどうして断言できるであろうか。」

ということで、霊性の視点は、単に見えない世界とのつながりが、「真実のわたし」の本性なのだ、ということに留まるのでなく、わたしをあらしめている世界そのものについて、あらためて万人の地平とする視座を示唆しているように思われます。