「精神的な教師との対話」よりエックハルト・トーレ

松永太郎さんから、また引用します。

あらゆる精神的な教え(スピリチュアル・ティーチング)は、苦しみを終わらせると言う可能性を指し示しています。そのポイントは、『』です。

「確かに多くの師が、魂の暗い夜を経験しました。
ラマナ・マハリシは短い死を経験しました。
しかし人間は全体としてあまりにも多くの苦しみを体験してきました。これ以上の苦しみはないでしょう。
今までになく、スピリチュアルな教えの力が強くなっているのは、これ以上、苦しみの必要がないからです。でなければ、私は教えてはいないでしょう。」

さらにトーレは言います。
「教えの核心はこうです。あなたは、もう十分に苦しんだ。ブッダは、『私は苦しみを教える。私は苦しみの終わりを教える』、と言いました。すなわちブッダは苦しみというものがなぜ、起こるのかを見せたのです。そしてそこから、解放される道も。」

トーレにとってのさとり(目覚め)とは何でしょうか?
それは、自然に感じられる存在との一体感であり、思考ではなく感覚に近いもの。
『ある』、『ここにいる』という自然な感じで、イメージ、思考、感情など私達の対象として現れるものの間に、まったくの沈黙として流れているものだ。

「すべての対象をもたない状態です。そしてそこに留まること、すなわち、まさに『不生』に留まることです。」と解説します。そして、

思考と見守るというこの力は、心の静けさから生まれてきます。
観察された思考は軽くなり、その強さは弱まってきます。
最初は、あなたは見守っているだけです。
やがて、あなたは、この目撃と言う行為にも気がつくでしょう。
見守ることの中にある力、静けさの力、意識の力に気がつくでしょう。
そして、あなたはそれこそがあなたであることを知るでしょう。
あなたはそれなのです。

もし、そこに連続的に留まれば、あなたは形態の世界から自由なのです。
あなたは形態の世界、思考の世界、感情の世界にとらわれています。
あなたという虚構の自己は、形態の世界にとらわれているのです。
本当の自己は、形態を超えたものです。

続く